日帰りで行く名城めぐり 宇和島城  大洲城(四国編)2016/3/6(日) 愛媛県宇和島市・大洲市
平成30年7月豪雨
2018年7月6日(金)〜7月9日(月)西日本豪雨 土砂崩れ氾濫相次ぐ。平成で最悪の被害に。
倉敷市真備町で小田川など堤防が崩れ、大規模な冠水、2階まで水。
愛媛県宇和島市、西予市 大洲で肱川が氾濫。
広島県内では大規模な土砂崩れや集落の孤立。
広島県呉市、東広島市安芸津町、熊野町、広島市北区口田、広島市安芸区矢野東 多数の住宅が倒壊。
三原市本郷町 沼田川氾濫。

行先 大洲城(平成16年天守を木造再建)・宇和島城(国重文現存天守)
日程 7:00出発 福山駅北口バス駐車場⇒宇和島城(10:30入場/12:30出発⇒宇和島市内(12:35/13:30食事)
⇒大洲城(14:10入場/15:40出発)⇒福山駅北口(18:50頃) 12時間の行程です。

東日本大震災、そして、東京電力福島第1原発事故から、まもなく5年を迎える。

2016年 アメリカ大統領選挙の行方とその後は?
有力候補として出てきたのが、共和党のトランプ氏、民主党のクリントン氏とサンダース氏の3人です。


クイズ
問1 四国には国重要文化財に指定された4つの現存天守があるがこの中でその4城にあてはまらいものは?
@ 松山城(愛媛県)A徳島城 B高知城 C丸亀城

問2 四国の城の記述に関して正しいものは?
@徳島城の築城者は伊達正宗長男の秀宗である
A高松城(香川県)は山城である
B丸亀城には天守閣の他2件の櫓が現存している
C高知城には全国でも数少ない現存の本丸御殿がある

問3 明治時代の廃城令や戦災などで多くの天守閣が失われたが以下の城の中で現在も天守閣が消失したままの城は?
@島原城 A和歌山城 B小田原城 C名護屋城(佐賀県)

問4 以下の城の内、海城は?
@高知城 A郡山城(広島県) B今治城 C岡山城

問5 以下の現存天守の内最も北にある城は?
@松本城 A丸岡城 B弘前城 C犬山城

問6 城には様々な関連庭園があるが次の城と庭園の組み合わせの内で誤っているものは?
@水戸城―偕楽園 A金沢城―天赦園 B広島城―縮景園 C岡山城―後楽園

問7

問8 慶長元年(1596)入封後、宇和島城を築城した武将は?
@伊達正宗 A籐堂高虎 B山内一豊 C蜂須賀家真政

問9 宇和島城の記述に関して誤っているものは?
@3層3階の天守閣がある
A元は海城であった
B明治時代までは代々藤堂家が藩主を務めた
C現在の天守閣は二代目である

問10 大洲城の記述に関して正しいものは?
@平成16年大洲市制50周年事業で台所櫓が再建された
A現在4層4階の天守閣を備える
B元は二重の堀を備えていた
C戦災により天守閣が焼失した

距離:217km時間:3時間30分   有料道路優先


 宇和島城  標高74mの山頂部に本丸

今回の舞台は愛媛県宇和島市。宇和島城を築いたのは城づくりの名人?
宇和島の海岸線はなぜ“ギザギザ”?タモリさんがブラブラ歩いて解き明かす
▽絶品!宇和島鯛めし
初回放送日: 2023年12月9日
「ブラタモリ#257」で訪れたのは宇和島。旅のお題「“ギザギザ”は宇和島に何をもたらした?」を探る
▽道路の微妙な高低差で分かる!城下町づくり驚きの工夫
▽朝の商店街でタモリさんがもだえる…なぜ?
▽地元グルメ・じゃこ天が示す宇和島と仙台の深〜い縁
▽迫力満点!陽光に輝く石垣の段々畑で何を作った?
▽ギザギザの海岸だからこそ!マダイとシマアジ養殖日本一
▽宇和島市民が熱狂する闘牛がこの地に生まれたワケ

オープニングで「宇和島は失礼ながら何があるんでしょうか? 
宇和島城は分かりますけれども他はちょっと分からないですね」と平謝りすると、
野口アナは「鯛めし?」とフォロー。
タモリは「え? 鯛めしね! 鯛めしはでも愛媛全体にありますからね」と強調していた。

古来、交通の要衝だった瀬戸内海周辺では平安から戦国時代にかけて水軍が活躍した。
火を使えない船上で、釣り上げたばかりの鯛を切り身にし、
ご飯にのせて食べたのが「宇和島鯛めし」の始まりとされている。

一方、愛媛県中央部の松山市、東部の今治市などの鯛めしは1尾丸ごと焼いたものを、
米と一緒に釜や土鍋で炊き込む。他にも鯛そうめんや法楽焼など、多彩な鯛料理が根付いているのは一大産地ならでは。
古くから県全域で漁獲があったことに加え、養殖にも力を入れており真鯛は「県の魚」に指定されている。
養殖真鯛の生産量は30年以上、全国一だ。令和4年は3万8600トンで、国産の2尾に1尾は愛媛産、という計算になる。
特に宇和海の沿岸部は、複雑な入り江を持つリアス海岸を生かした養殖が盛んで、さまざまなブランド鯛が生産されている。

初代宇和島藩主の伊達秀宗は伊達政宗の長男で大坂冬の陣のあと、徳川家康から伊予・宇和島10万石を与えられた。
藤堂高虎から受け継いだばかりの宇和島藩の領地と、秀宗が隠居する際の宇和島藩の領地を図面で比較した際、
宇和島藩が吉田藩と分裂していたことを知ったタモリは「そんなバカな! こんな飛び飛びですよ! 誰が取った?」と驚いていた。

吉田藩は宇和島藩から分家した支藩。明暦3(1657)年、
宇和島藩初代藩主伊達秀宗の五男、伊達宗純が分知され、陣屋が築かれた。

宇和島城を築いた藤堂高虎について、
専門家から「高虎は立派な城下町を築いたのですけれども、実は宇和島にいたのはたった6年間」と説明を受けると、
「あ、そうですか。ようやく完成したころには転勤だ。出世したんだ」と驚いていた。

宇和島城はもと板島丸串城と称した。文禄4(1595)年、藤堂高虎が宇和郡7万石を与えられ板島を宇和島と改めた。
高虎は自らの居城として海に面する地形を利用した本格的な城を築いたが関ケ原の戦いの後、今治に居城を移した。
慶長19(1614)年、伊達政宗の庶長子である秀宗が10万石で入封。以後、仙台伊達家の別家として幕末まで続いた。
2代宗利が城の大改修を行い、現在の天守は寛文6(1666)年ごろに完成したものである。

段々畑について専門家から、「地元ではこの段々畑のことを段畑って言ってますね」と説明を受ける

庶子
庶子(しょし)は、正室ではない女性から生まれた子供を指す語。

宇和島城
宇和島城のあらまし

太平の世を象徴する天守をもつ城
主な遺構
天守、上り立ち門、本丸、二の丸、藤兵衛丸、長門丸、代右衛門丸、井戸丸、石垣
見どころ
宇和島の中世山城板島丸串城を、籐堂高虎が慶長元年(1596)から6年をかけて近世
城郭化した平山城である。高虎が望楼型であったが、寛文6年(1666)に伊達宗利が
建てた二代目天守は三重三階の層塔型である。狭間も石落もなくなって軍事性は消え
千鳥破風や唐破風などで飾られた装飾性の高いものであった。これが現存する天守である。

▲上り立ち門
搦め手口にある薬医門。天守までは7つの門があったが、現在残るのはこの門ひとつだけである。

▲雷門北西下の石垣
雷門跡の石垣。城内では各所で時代や技法の異なる石垣が見られる。

▲天守
伊達宗利が再建した三重三層総塗籠式の層塔型の天守。唐破風の玄関をもち、
一重目に比翼千鳥破風と、二重目に軒唐破風と、
軍事的要素より装飾性に富んだ天守となっている。

登場道  藤兵衛丸辺り 

ボランティアガイド現地研修

石垣 野面積み

将来の地震発生の可能性  
 地震の規模  : M8〜9クラス
 地震発生確率: 30年以内に、70%程度
二の門から天守
 二の丸から本丸・一の門(櫛形門)
天守 
心配した雨パラパラ・・大丈夫です

ウスベニサクラ 

にっぽん縦断 こころ旅
2017年04月04日 (火)
609日目〜愛媛県鬼北町
宇和島城でお手紙を読んで鬼北町へ、
唐破風の玄関

宇和島伊達家の主な家紋
 「九曜紋」、「竹二雀紋」、
竪三引両紋
天守閣模型  10分の一
 天守閣で御城下視察終わりました

井戸丸あたり 苔むした石垣
約300種の草木が生い茂る
天赦園で昼食 

登城のあとの食事 美味い。
国指定 名勝 天赦園

7代藩主の伊達宗紀が
慶応3年(1868年)に築庭した

大多行松(おおたぎょうしょう)
枝分かれした系図に似て子孫繁栄を
思わせる縁起の良い松
 春雨亭
愛書家として有名な春山は
数多くの貴重な書を残した。
潜渕館(せんえんかん) ・・・茶室
春山公がお茶を楽しまれた所
皇太子時代の昭和天皇もここで休憩された


名残惜しく次の城へ

クイズの答え
問1:A 徳島城・・・明治8年(1875)廃城令により天守を含めすべての建物が棄却。
            平成元年に鷲の門が再建された。  
問2:C 高知城には全国でも数少ない現存の本丸御殿がある
      徳島城は蜂須賀家政による築城。高松城(香川県)は海城。丸亀城の現存遺構は
      天守の他大手一の門や御殿表門であり櫓は明治10年(1877)破却。
問3:C 名護屋城(滋賀県)
問4:B 今治城  高知城は平山城、郡山城は山城、岡山城は平山城。
問5:B 弘前城 松本城は長野県、丸岡城は福井県、弘前城は青森県、犬山城は愛知県。
問6:A 金沢城の関連庭園は兼六園、天赦園は宇和島城の関連庭園。
問7:
問8:A 籐堂高虎 山内一豊は高知城、蜂須賀家政は徳島城。
問9:A 明治時代まで代々藤堂家が藩主を務めた。
問I:A 現在4層4階の天守閣を備える。


大洲城  肱川(ひじかわ)を堀にした優美な名城
主な遺構
台所櫓、高欄櫓、苧綿(おわた)櫓、三の丸南隅櫓、本丸、石垣

見どころ
大洲城の始まりは、14世紀前半の宇都宮豊房の居城である地蔵ヶ嶽城といわれる。
この城を近世城郭に改造したのは、文禄4年(1595)に入城した籐堂高虎といわれている。
天守が築かれたのは慶長年間で、城主は脇坂安治の時代である。天守は明治21年(1888)
まで残っていたが、取り壊された。しかし、平成16年大洲市制50周年を迎え、木造で再建された。

▲苧綿櫓と肱川
肱川に面した二の丸東側に位置する二重櫓で、天保14年(1843)に再建された。
隅部には下見板張の石落が設けられている。

▲南隅櫓南面
三の丸にある南隅櫓。江戸時代中期に再建されたもの。白漆喰壁で、袴腰式の石落を
下見板張にしている。

肱川越しに望んだ天守と台所櫓
江戸時代の天守雛型や発掘調査、古写真などをもとに四重四階の層塔型天守が木造で
復元され、江戸時代の遺構である台所櫓、高欄櫓とかつてのように連結された。

復元工事費13億円
の内5億円を市民の皆さんの寄付

 平成16年大洲市制50周年を迎え、木造で再建

にっぽん縦断 こころ旅
2017年04月05日 (水)
610日目 愛媛県大洲市
旅は大洲城からスタート。
復元天守木組雛形
縮尺10分の一
内部 

一日城主として天守に宿泊できる 
1泊2人で110万円
内部
 階段角度 60度
 天守より肱川(ひじかわ)

人気の観光列車 ヘッドライト点灯し
予讃線 鉄橋でスピードダウン見ました。

武者窓からデジカメ撮影。
高欄櫓より御城下を見る

 1966年(昭和41年)NHK朝の
テレビドラマ「おはなはん」のロケが行われた

1977年8月6日封切り
第19作
『男はつらいよ 寅次郎と殿様』ロケ地
大洲藩主加藤氏の家紋「蛇の目」 旗振り
見送り 感激。

来島海峡SAで土産
じゃこてん
抹茶タルト



昼から暑い 人気の塩ソフトクリーム

旅行記忘備禄


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