西国街道  兵庫を歩く  御着(ごちゃく)〜加古  兵庫県姫路市・高砂市・加古川市 10/10/23(土)

参加者14人、半年ぶりの再会でした。薄曇りの一日 途中日がさし汗ばむ陽気でした。 
食欲の秋を楽しみました。
昼食はB級ご当地グルメ「高砂にくてん」、加古川「かつめし」は持ち帰りました。 

セリーグ 中日、日本シリーズ進出。
CS最終ステージで巨人を破り、3年ぶりの進出を決めた。パリーグ ロッテと30日からナゴヤドームで戦う。


  JR御着駅 10時30分 14人の旅人 集合しました。
新人の紹介 出発しました。

御着宿
本陣跡、小寺大明神社、御着城祉

姫路市御国野町御着

延命寺には板碑
別所町佐土

弁慶地蔵
書写山に預けられた弁慶が、京からの帰途、福居村庄屋の娘玉苗と
一夜を共にしたのが、
この地蔵堂であると伝えられている。
  泡地蔵 ともよばれ

天文二二年(1535)乙未八月廿日六日の銘文がある
 ため池にハス
別所町北宿
六騎塚
 南北朝時代の延元元年(1336)児嶋高徳の
父範長主従6名の自害を弔って建立したと伝えられている。
亀趺(きふ)と呼ばれる亀形の台上に碑が建てられており、
備後守児嶋君墓と刻まれている。太平記によれば延元元年(1336)
足利尊氏が大軍を率いて九州から東上してくるのを備後守範長が
迎え撃ったが、戦いに敗れ、
最後に主従6騎となり、阿弥陀宿の辻堂で自害したという。
高砂市に入ります。

 高砂市金ヶ田町

お好み亭「きくらく」  高砂にくてん  B−1グランプリ

スジ肉・こんにゃく・じゃがいもが入った高砂の味
 関西を中心にピアノ弾き語りで活動をする、
シンガーソングライター梅谷陽子さん

「高砂にくてん」
PRソング「にくてん た・べ・た〜い!!」ウクレレで弾き語り。

そして一緒に写真を撮りました。
   阿弥陀町
JR曽根駅近くの
高架下に道標が五基並んで立っていた
阿弥陀町魚橋
 
正蓮寺

正蓮寺境内にあった印南(いんなみ)郡役所の官舎で生まれ
山門前に森繁久弥筆の顕彰碑が建立されています。

月の砂漠」を作曲した佐々木英(すぐる)の生育の地
 土田家住宅旧魚橋郵便局舎【登録有形文化財】

開設された当時兵庫県印南郡阿弥陀村と呼ばれていた。
印南郡の中央部に位置しており、印南郡役所が所在し、
旧山陽道(西国街道)が村の中央を東西に貫通していた。
 法華山一乗寺を示す道標
   宝殿道の道標
山片幡桃(やまがた ばんとう)が幼児、父と酒屋を営んでいた家の跡
山片幡桃(1748〜1821)
大阪の町人学者。豪商升屋の番頭として主屋を中興させる。
高橋至時とは同じ師、麻田剛立に天文学を学んだ仲。
著書「夢の代」では合理的態度で儒仏国学を批判。物価・貨幣制度
を論じて自由経済政策を説く。

 
阿弥陀町神爪(かづめ)
 生石神社(おうしこじんじゃ)一の鳥居
生石神社の裏手に「石の宝殿」と呼ばれ、
水面に浮かんでいるように見えるところから
「浮石」ともいわれています

いつ、誰が、何のために作ったのか、不思議な石造物。
  JR宝殿駅前から加古川市となります。
 加古川市米田町
赤いレンガ作りの日本毛織(ニッケ)印南(いんなみ)工場過ぎて
投網でアユを捕る人見ました
加古川橋
  加古川一番街
寺家町
(じげまち)
寺院がこのあたり莫大な領地を所有していたことから、
この名がつけられたといいます。
 
  アーケード街に入って左側に「人形の店 陣屋」の隣です。
陣屋(山脇邸) 
陣屋は、姫路藩の加古川役所として宝暦2年(1752)3月18日
に建造され、参勤交代のために加古川宿を通行、
宿泊する大名に対する応対などに使われていた。
明治18年8月9日には明治天皇が西国街道を巡幸の際、
ここで昼食をとられた。
案内板が立ってます。
 本陣跡

若松屋結納店と明石屋本店の間は本陣跡。更地となっています。
 
解散は16時
かつめし 持ち帰りました。
 JR加古川駅 乗車

次回は来年春の予定


御着宿←加古川宿→魚住