経小屋山(きょうごやさん)に登る 2005/11/19(土) 広島県廿日市市

安芸の宮島・瀬戸内海・四国連山・西中国山地を一望

宮島の花火 絶好ポイント
地元の登山地図あるが 一周コース・半周コースの案内板あるが
下山コースの案内板がない、迷った。
行程
10時35分 JR大野浦駅
10時45分 大頭神社
11時35分 十字路
12時40分 経小屋山山頂(596.6m)ラーメン昼食 妹背の滝コースからの3人ずれと
13時15分 下山 下山路 宮浜温泉コース 分かりにくい迷う。
15時20分 TAXで下山 
15時45分 「べにまんさくの湯」入浴
16時45分 バス乗車
16時56分 JR大野浦駅

経小屋山の由来
人皇38代の天智天皇(626〜671)の頃、百済を援けた日本軍は、唐新羅の連合軍に白村
江(はくすきのえ)で大敗した。爾来、壱岐、対馬、博多、馬関はもちろん、瀬戸内海の要所
にも烽(とぶひ)台を設け、防人(さきもり)を配置し外敵に備えた。遣唐使船などは山陽本
土沿いに航行したので、弥山よりも66mも高い経小屋山に物見台として適地だったし、防人
が山頂で屯しても自然に湧き出る飲水があった。しかも巨岩が垂直に重なる難攻不落の砦であ
った。天智天皇在位の頃から一切経の写水が流行した。一切経は国内に伝播し各地に経塚、経
小屋、経蔵、経祠、経堂が建てられた。大野の経小屋山でも、山頂に看視をつづける防人達が
一切経を守り本尊とした。このため、経小屋山の名前が生まれたのではないだろうかと言われ
ている。安政の黒船渡来の頃も、経小屋山は、五日市の海老山に呼応する火の山として緊張し
たこともあった。

大頭神社
厳島神社の摂社として、推古天皇11年(603)に建てられている。境内には、安永4年の御神燈、
享保14年の石燈籠等歴史を刻む史跡が多い。
朱色鳥居の立額の大頭神社は、有栖川宮織仁親皇の御染筆である。

JR大野浦駅  西国街道 一里塚碑ある

大頭神社

妹背の滝 雄滝 「その水壮なり

画家 絵を書くと・・・。めおと滝

古来 藩主や文人の探訪 来遊した所

雌滝 「長けれども婉(えん)なり

ひと一人の道 標識しっかりした表示欲しい

岩船岳(466m)と牡蠣いかだ

宮島の弥山(535m)

広島市街

山頂 三角点に座って食べる

大竹岩国の工場群 牡蠣いかだ

西中国山地

大野瀬戸 宮島の弥山

下山途中にありました 赤い実

「べにまんさくの湯」 疲れいやしました

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