元離宮二条城 築城400年祭 

2021年7月18日 大河ドラマ『青天を衝け』紀行
第23回「京都府京都市
京都府京都市。慶応3年10月。二条城の二の丸御殿で、大政奉還が表明されました。
薩長との武力衝突を避けることに成功するも、小御所会議により、慶喜は政治の表舞台から
遠ざけられてしまいます。
この政治劇の裏には、岩倉具視の存在がありました。
京都市の北部、岩倉。公武合体運動を推し進めたことで過激な志士に命を狙われ、
失脚した岩倉はこの地に逃れました。
倒幕へと立場を変え、政治活動を続けた岩倉のもとには多くの志士が集まり、密談を重ねました。
一度は朝廷を追われたものの、再び政治的手腕を発揮した岩倉具視。薩長を中心とする新政府は、
慶喜をさらに追い詰めていくこととなります。

2015/7/7
米国の有名旅行雑誌「Travel+Leisure(トラベル・アンド・レジャー)」は
2015年の世界人気都市ランキングで、京都市が昨年に続いて1位になったと発表した。

 新選組ゆかり 壬生(みぶ)辺りを歩く   2003/10/13(月) 体育の日

二条城

1603年(慶長8年)徳川初代将軍家康が、京都御所の守護と将軍上洛のときの宿泊所として造営し、
3代将軍家光により、伏見城の遺構を移すなどして、1626年(寛永3年)完成したものです。したがって、
豊臣秀吉の残した文禄年間の遺構と家康がたてた慶長年間の建築と家光がつくらせた絵画・彫刻など
が総合されて、いわゆる、桃山文化様式の全貌をこの城にみることができます。1867年15代将軍慶喜
の大政奉還により、二条城は、朝廷のものとなり、ついで1884年(明治17年)離宮となり、
1939年(昭和14年)京都市に下賜され現在に至っています。

いまも伝わる幕末の息吹 新選組 壬生辺り

来年のNHK大河ドラマに決まった「新選組」。まっすぐ京の町をかけ抜けた若者、いまそのあと 少し歩いた。

朝早くから 雨の中 訪ねました。

京都の町中 散策しました、所々趣あり感激して帰りました

土産  生八ツ橋・はんなり漬け・しば漬け・屯所餅

東大手門 特別初公開

櫓門形式の豪壮な門、「石落し」の仕掛けなどありました。

 

 
   東大手門から二の丸御殿の姿も
東大手門の右には番所

入城のころ雨がシトシト。  

  二の丸御殿
桃山時代武家風書院造りの代表的なもの、御車寄につづ
いて遠侍(とおさむらい)、式台(しきだい)、大広間、蘇鉄の
間、黒書院、白書院。建物面積3300m2、部屋数33、畳
は800畳あまり。 各部屋の襖絵は狩野派の手によるもので、
部屋の目的に応じて描かれています。欄間の彫刻、飾金具、
長押(なげし)に打たれた釘隠し、
金飾あざやかに豪華を極めています。

どこもスケール 壁画 圧倒され感激しました。  

二の丸庭園

古来からの造庭術にしたがい、池の中央に蓬莱島、
その左右に鶴亀の島を配した池泉回遊式庭園で、
小堀遠州の作と伝えられる。庭は、大広間から眺められる
よう造られたものですが、寛永3年後水尾天皇の行幸御殿が
池の南側に建てられたときに御殿からも眺められるよう
改造されたといわれています。色彩にとんだ大小さまざまな
石組にあらわれた力強さは、豪壮な城郭建築とよく調和して
います。

 
  二の丸庭園
本丸櫓門 
  本丸
1626年(寛永3年)3代将軍家光により増築したもの。
もとは、城内に高くそびえ壮麗を誇っていた5層の天守閣が
ありましたが、1750年(寛延3年)雷火により焼失、
また1788年(天明8年)には、大火による類焼で本丸内の
殿舎をもなくしました。現在の建物は、もと京都御所にあった
旧桂宮御殿を1893〜94年(明治26〜27年)にわたりここに
移し建てられたものです。
この建物は、1847年(弘化4年)に建てられたもので、
宮御殿の遺構としては完全な形で残っている唯一のもので、
重要文化財に指定されています。 
天守閣跡から 本丸、二の丸 
  内濠 東橋 
清流園

江戸初期の豪商角倉了以の屋敷から、建物の一部と庭石
約800個を譲り受け、これをもとに二条城にふさわしく、
雄大・明朗・優雅をモチーフに全国より集めた銘石300個と
新築のお茶室を加え1965年(昭和40年)完成。庭は、
池泉回遊式の和風庭園部分と、芝生を主体にした洋風庭園
部分からなり、面積約16500m2、園内には、香雲亭、茶室
和楽庵があり、市民大茶会を始め二条城を訪れる国賓公賓
の接待場所にも利用されています。

 
  台所・御清所(おきよどころ)特別公開

台所は、寛永期の造営によって築かれたと考えられ、行幸など、
壮大な儀礼の際の調理場として設けられたもので、落書きが
見られる御清所は、料理の盛付・配膳所とされていた。
当時は二の丸御殿との間にいくつも建物があり、直接御殿と
行き来することができた。上部を見上げると、巨大な梁が渡り、
梁と束が交差しながら上昇する堅固な構造は、力と美を見るもの
に強く印象づけるものである。

 
大河ドラマ「青天を衝け
紀行2021年6月27日
第20回「京都府京都市/兵庫県姫路市」
壬生(みぶ)寺 

京都府京都市。新選組ゆかりの地・壬生(みぶ)。
新選組は京都守護職を務めた松平容保(まつだいら・かたもり)のもとで
京の治安維持にあたり、壬生寺の境内で、武芸や大砲の訓練を行っていました。
壬生寺
壬生寺の周辺のいくつかの邸宅に分かれて駐在した新選組。
八木邸には、隊士がつけた刀傷が残されています。
旧前川邸(新選組屯所跡)
隊士の人数が増えると新選組は壬生から西本願寺へ屯所を移しました。

当時使用した建物は、兵庫県姫路市に移築されています。
亀山本徳寺
栄一と同じ時代を駆け抜けた新選組。彼らのいちずな生きざまは
今も人々を魅了しています。
壬生寺
JR「京都」からバス「壬生寺道」下車 徒歩2分
亀山本徳寺
山陽電鉄「亀山」下車 徒歩3分

  近藤勇の像

壬生寺と新選組につて  

  八木邸
新選組のスタート地点はここだ。
八木家の離れ座敷を屯所(たむろするところ、宿所)
としてあてがわれた。

八木邸(新選組屯所跡)
屯所となった邸宅の一つ、前川邸には当時の蔵が残っています。
ここで土方歳三が尊攘(そんじょう)派の志士の取り調べを行い、
京に火を放つ計画を自白させたことが、池田屋事件の発端となりました。

新選組発祥の地跡  

  光縁寺  隊士たちの墓を守る

   

 17人の隊士の名が刻まれた墓


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