史跡 和歌山城  和歌山県和歌山市 2015/1/7(水)

行程
JR和歌山駅→昼食・ラーメン(和歌山MIO)→けやき通り→追廻門から登城「史跡 和歌山城」
→刻印看板→天守閣→裏坂→大手門→けやき通り→JR和歌山駅



「和歌山〜和歌山に御三家が置かれた鍵(キー)は?〜」放送日: 2022年1月15日
江戸時代に御三家のひとつだった紀州。江戸から離れていながら全国有数の
大都市となった秘密をタモリさんがブラブラ歩いて解き明かす!
▽将軍家に2人も送り出した紀伊の謎 「ブラタモリ#195」で訪れたのは和歌山県・和歌山市。
紀伊国で旅のお題「和歌山に御三家が置かれた鍵(キー)は?」を探る
▽紀の川で和歌山の立地の秘密を解き明かす!カギは中央構造線?
▽豊臣秀吉がたった3か月で和歌山城をつくることができた理由とは!?結晶片岩の石垣で考える
▽和歌山には巨大な砂丘があった?その成り立ちとは?
▽梅干し・みかん・・・徳川頼宣が和歌山にもたらしたものは?
▽徳川家康と頼宣・父子の絆





 昼食

青春18きっぷ  大久保〜西明石 遮断棒折れ 50分遅れ
 11:31
JR和歌山駅 和歌山MIO
 けやき大通り
和歌山城の石垣や屋根瓦、紀州てまりをイメージさせる歩道の石畳は
まさに和歌山城へのプロムナードといえます。
昭和63年「けやき大通り」の名称誕生

平成6年 歩道8.5mに広げられゆっくりとけやきを眺めたり、憩い、
ショッピングができる空間
一の橋  大手門 
城の内郭に入る正面の門。浅野期の途中から大手として機能した。
当初は市之橋御門とよばれていたが、寛政8年(1796)に大手門及び
一の橋と改称される。
北堀 
御橋廊下 (おはしろうか)
殿様とお付きの人、奥女中が二の丸と西の丸を行き来するために
かけられた徳川期の橋。
追廻門 12:30 ここから登城しました
砂の丸の乗馬調練場と門外の扇の芝馬場を結ぶ門である。
馬を追い回したことからそう呼ばれた。
天守閣 入城料410円 登閣記念スタンプ押す
浅野家が虎伏山の西の峰に、黒板張だが、ほぼ現在と同様の大天守
を築造。三層の大天守から時計回りに多門、天守二之御門(楠門)、
二之御門櫓、多門、乾門、多門、御台所、小天守へと続く連立式天守
だった。寛政10年(1798)十代藩主徳川治宝により白壁の白亜の天守
となるが、弘化3年(1846)の落雷で焼失。御三家ということで特別に
認められ嘉永3年(1850)にほぼ元のまま再建される。昭和10年(1935)
国宝に指定されるが、同20年7月9日の和歌山大空襲で焼失。戦後市民
からの要望もあり、昭和33年に鉄筋コンクリートで復元された。
 御城下を視察 東方面
裏坂 石段を登る人の形の・・・・?
大楠 和歌山県指定天然記念物
13:20 大手門 から帰る

ジェラート 食べる

土産 柚もなか

14:14 JR和歌山駅 発

旅行記忘備禄

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