高槻城の城下町・西国街道の芥川宿 散策 大阪府高槻市 2015/4/9(木)
行程 7km 桜が散り始めの御城下を歩く。
JR高槻駅→しろあと歴史館→城跡公園→野見神社→藤井竹外邸跡→本行寺→芥川橋→西国街道→教宗寺
→芥川一里塚跡→上宮天神宮→JR高槻駅
まちかど遺産マップ まちかどに 説明板あります
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2014/3/16放送 軍師官兵衛紀行 城跡公園
大阪府高槻市には、かつて高山右近が治めていた城下町が広がっていました。
幼いころからキリスト教を信仰していた右近。教会や神学校を建てるなど、
熱心な布教が実を結び、領民のおよそ7割が信者になったといいます。
教会付近で発見された信者の墓地からは、
ロザリオや十字架が描かれた棺(ひつぎ)が出土しました。信者の葬送の際には、
右近自ら棺を担いだといいます。
現在、市内には高山右近記念聖堂が建っており、
その精神は今も地元の人々に受け継がれています。
2019/01/30
戦国時代のキリシタン大名・高山右近(1552〜1615年)が城主を務めた高槻城(大阪府高槻市)
で、堀の底を格子状に仕切った「障子堀」が見つかった。市教委が発表した。
泥をためて敵の侵入を食い止める狙いで造ったとみられ、主君だった織田信長の技術を右近が発展させた
可能性が高いという。
JR高槻駅 山崎合戦の秀吉本陣跡 |
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しろあと歴史館 キリシタン大名、高山右近の没後400年にちなんだ展示会 「高山右近とその時代」 右近が生きた時代の海外の資料も紹介。 東南アジア製とみられる艦船用の大砲 「ランタカ砲」などを展示している。 城下町コース |
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高槻城跡 江戸時代、堺と並ぶキリスト教布教の重要な拠点となっていた高槻。 当時、キリシタン大名で有名な高山右近は、 合戦や築城にすぐれた才能を発揮し、本丸・二の丸の他、 町家までも堀で囲い込んだ堅固な城「高槻城」を築きました。 南方3キロメートルに淀川を擁し、 北方1キロメートルには西国街道を控え、 水陸交通の要衝に位置した優れた城だったといいます。 |
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野見神社 境内にある永井神社 初代高槻藩主永井直清を祀る |
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本行寺 高槻藩の初代藩主・永井直清以来、 高槻城主の祈願所として厚い庇護を受ける。 境内には幕末の漢詩人・藤井竹外の墓がある。 |
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芥川桜堤 公園 芥川コース 芥川橋 ここから芥川宿 17世紀初めに徳川幕府によって整備された参勤交代 のための本陣、伝馬などが置かれた。 19世紀前半には旅籠33軒、家数253軒を数え大いに 賑わったという。 |
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教宗寺 (きょうしゅうじ) 享保19年(1734)に描かれてた芥川宿絵図にも現在と 変わらぬ景観で描かれており、 200年以上もそのままの姿を残しているという。 古図には「教宗寺」があるところの前には本陣のあった |
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わずかに残る格子窓の家々が当時の歴史を物語っている。 | |
土産 純米酒 西国街道 芥川 高槻銘菓 芥川宿 |
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芥川一里塚 (あくたがわいちりづか) 西国街道は、約8.1kmにわたり市域を東西に貫いている。 一里塚は1里(約4km)ごとに街道の両脇に設けられ、 エノキの木を植えて路程の目印としたもの。 高槻市内ではここ旧芥川宿東口の東側だけが残り、 府の史跡にも指定されている。 |
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上宮天満宮(じょうぐうてんまんぐう) 平成8年(1996)11月、放火により焼失した本殿 (1590年〈天正18年〉豊臣秀吉築)は、平成14年(2002)、 日本初の竹製の本殿として再建されました。 「大宰府天満宮に次いで日本で2番目に古い天満宮」と称され、 「上宮」の名も、 創建が京都の北野天満宮より以前であることから 冠せられたといわれる 12:30 JR高槻駅 |