大河〜楠那 史跡散策  04/3/24(水)  

あちらこちらに かってここが まだ漁港だった頃の面影をとどめる史跡が散在。

大河公民館で史跡めぐりの資料貰う。一人で聞きながら・・・。

霞フラワーガーデン→大河公民館→黄幡神社→樋の口→英橋跡→城屋稲荷大明神→旭町ポンプ場

→穴神社→倉田百三の碑→清水神(しみずさん)→胡子神社→丹那の岩風呂→楠那公民館

黄金山の西側、大河を中心としたエリアは、サッカーが盛んなまち さまざまな歴史の証人と出会う

約2時間のウォーキングでした。

霞フラワーガーデン

みなさんが育てた花。

広島市道路事業用地で近くの土地確保。  

 真幡(まはた)神社 旧称「黄幡(おうばん)神社

元和3年(1617)勧請。

寛政の頃大河生まれの三代十郎兵衛は相撲大会で名をあげ、
その褒章として近海の漁業権を得、以来大河の人々はこの
恩恵を受けたという。

いまでも黄幡神社の秋祭りでは供養祭が行われている。

 境内

天保の年号が見える手水所

 

境内には広島市保存樹


クスノキ 高さ22.5m 幹の周囲352cm  

光明山地蔵寺


浅野藩主の祈祷所であったとされ、いまでも本堂の両側には
浅野家の紋章の入った提灯が見られる。  

地蔵寺 
  樋の口

旧大河漁業組合の名残り  

英(はなぶさ)橋跡


かつては旭町から山城町に架かっていた橋は、
仁保島大河の英修作氏が私財を投じて築いたもの。

その後埋立てにより消えたが英氏の偉業をたたえた
記念碑が残る。  

  山城屋稲荷大明神


文化年間(1804−17)に勧進と伝わり、海の神や五穀豊穣の神、
水神、豊漁の神を祀る。
 

旧国鉄宇品線モミュメント


日清戦争開戦直後、わずか16日間で完成させたいう広島駅から
宇品を結ぶ鉄道。

国鉄の民営化を機に廃止されたが、そのモニュメントが残る。

旭町ポンプ場前広場  

穴神社


1700年頃、おこぜ岩と松尾山に続く山すその海辺に海洞があり、

その海洞の上に社殿を建て穴神社と呼んだ。

ご神木のアラガシは天然記念物級の貴重なもの。  

  倉田百三文学碑


多数の戯曲や小説を著した作家倉田百三が療養で滞在したのが
故谷口花松氏宅の2階。

ここで代表作「出家とその弟子」を完成させた。  

水の神様「清水神」


その昔、修行僧が水を飲んだお礼に「ますます良い水が湧き、
末代まで絶えることはない」と言い残した。

現在も清水が湧いている。  

  道しるべ


まだ乗り物が普及していない時代、

往来を歩いて行き来する人にとってなくてはならない
案内標識だった。  

  「丹那いしぶろ」300年の歴史 古式サウナ 

スーパー銭湯に押され客が半減。03/6 月末廃業 

 

楠那公民館  かつてはここに小学校があった名残。

二宮金次郎像と奉安殿

奉安殿。明治33年の文部省小学校令施行規則で
「御真影」(天皇の写真)への最敬礼が義務づけられ
たことで各学校に写真を置く奉安殿が置かれた。  

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