海田市宿 探訪 広島県安芸郡海田町 2014/10/26(日)
コース
海田市駅→千葉家住宅→脇本陣跡→熊野神社→灘道→大師寺→清正寺→一里塚跡→三宅家住宅
→胡子神社→胡神社・荒神社→海田市駅
9時45分 JR海田市駅 北階段下 集合 海田市ガイドの会説明 瀬野川の位置は・・・・この辺り土手。 10時5分 4班に分かれて出発 菱屋平七が「筑紫紀行」に 浜手を廻れば海田市宿広島より是まで二里、人家八百件、 大形瓦葺きにて宿屋茶屋商家多し 賑わいぶりを記しています |
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千葉家住宅 2002/5/26(日)散策会。2013/4/25(木) 千葉家住宅見学 家紋 千葉家の家紋「月星紋」は、千葉一族の代表的な定紋であり、 北極星または北斗七星を神格化した「妙見神」を表すとされています。 千葉家庭園奥にも、妙見神が祀られています。 |
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御用箱 千葉家は江戸時代を通じて、宿場町海田の「天下送り役」「宿送り役」を 務めました。この箱は、その際に使用したもので、中に書状や荷物を納め、 金具に棒を通して運搬したと思われます。「海田市」 箱の前面には「天下於くり」裏面には「宿送役」 側面には「御用」と書かれています。全国に見ても、 使用者が特定できる 御用箱はめずらしく貴重な資料といえます。 |
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脇本陣跡 加藤家(猫屋) 屋号は猫屋といい、広島の猫屋町からやってきました。 海田市の庄屋などの役職を務め、 脇本陣としての役割もしました(家老などが泊る)。 明治になると安芸郡の郡役所がありました。 |
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御茶屋(本陣)跡 新宮の西隣に設置され 西国大名たちの宿泊に利用されました。 熊野神社 新宮(明治6年に熊野神社と改称) 1654年(承応3年)庄屋猫屋次郎兵衛が願主となり建立。 1704年社殿造営。1825年(文政8年) 拝殿再建。江戸時代(文化・文政)の石造物や絵馬などがあります。 |
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灘道 西国街道が整備される以前、東西を結ぶ道として利用されていました。 道沿いに加藤缶楽(ふらく)や植木源兵衛の墓、楠木地蔵などがあります。 |
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月光山大師寺 1830年(天保元年)開基。広島新四国八十八ヶ所35番霊場。 登山入口 日浦山(ひのうらやま)345,9m 2004/3/16(火) |
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馬の背のように山の尾根伝いの道 下ります 清正寺 お百度札があります。 |
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明顕寺 1541年(天文10年)開基。第二次長州戦争で戦死した高田藩士の墓や、 芸州鋳物師筆頭総代の 名工植木(金屋)源兵衛作の梵鐘があります。 |
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胡子(えびす)神社 稲荷町 火の見やぐら | |
胡神社 荒神社 新町 三宅家住宅から小路、そで壁通り 最近まであったお好み焼き屋・防火用水のあったお宅 見ながらJR海田市駅で全員の集合写真撮り。 12時30分 解散。 駅南側で3人で昼食 JR13時56分乗車。 10月26日(日)サイクリングしまなみ 今治―因島北IC間約46kmを6時間通行止めにし 瀬戸内しまなみ海道で開かれた 日本を含む32カ国・地域の約7300人が「サイクリストの聖地」駆け抜けた。 広島県が愛媛県と3月から開催した「瀬戸内しまのわ2014」の最後を飾るイベント |