宇品港 辺りの記録 2002/7/27(土)

歴史の証人だ。コメントはしない。

1887(明治20)年の「私設鉄道条例」公布により民間の山陽鉄道会社が設立され、神戸〜下関間に山陽鉄道(現山陽本線)の
敷設が計画されます。 1888(明治21)年11月に神戸〜姫路間が開通すると1891(明治24)年3月には岡山、同年9月には福山、
1894(明治27)年6月には広島までレールを延ばします。 もちろん工事は万事順調に進んだわけではありませんでした。
とりわけ難航したのが用地買収です。福山駅の建設では福山藩のシンボルであった福山城の石垣を壊し、路線が町を分断して繁栄
を阻害するなどと反対の声が上がりました。 しかし山陽鉄道の敷設には、日本と清国の関係が悪化するさなかだったこともあり
政府と軍部の強い意志がありました。福山町でも東京から帰郷した学生有志が、町の発展のためには早急に鉄道を敷設する必要が
あるという声を上げ、積極的に支持しました。当時の社会情勢による要請から最短ルートを最短時間で敷設するには、石垣を壊して
内堀を埋め立てる必要があったのです。 日清戦争が始まる2カ月前には、山陽鉄道は大陸への兵たん基地があった宇品港を擁する
広島まで開通します。こうして山陽鉄道は兵員・軍用貨物の輸送を進めるために軍用列車として運行し始め、今日の山陽本線につながります。
 これらのいきさつより福山城は今では「日本一 駅から天守閣が近い城」として知られるようになったのです。

宇品線

       
       
       

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