洞雲寺・アルカディアビレッジ・極楽寺 2005/2/23(水) 広島県廿日市市
行程
洞雲寺→アルカディアビレッジ→さくらの里→蛇の池→極楽寺→アルカディアビレッジ→JR廿日市駅
今年初めての黄砂、景色霞んで見えます。16.2℃ 3月下旬の暖かさ。関東地方で春一番吹きました。
インフルエンザ警報も出ています。
洞雲寺応龍山洞雲寺は、大内氏の重臣陶氏の菩提寺である
山口県・龍文寺の僧金岡用兼(きんこうようけん)を開祖とし、 桜尾城主であった厳島神主藤原教親(のりちか)・宗親(むねちか) 父子により、長享元年(1487)その菩提寺として創建された曹洞宗 の禅院である。金岡禅師は当時、名僧として名高く、本山永平寺の 諸伽藍の復興をなしとげ、また、阿波国(徳島県)の守護大名 細川成之(なりゆき)の帰依を受け、同国の方丈寺と桂林寺も管轄していた。 現在、洞雲寺に所蔵されている「正法眼蔵(しょうほうげんぞう)」(県重文)は、 禅師みずからがこの桂林寺において書写したものである。藤原氏は宗親のあと も代々菩提寺として洞雲寺に領地を与え、その死亡後も代わって大内氏がこれら の寺領を認め、さらに毛利氏の時代には、重臣の桂元澄、ついで元就の四男 元清(もときよ)が桜尾城代として洞雲寺を菩提寺と同じように保護したため、 寺には、藤原興藤(おきふじ)、桂元澄、毛利元清夫婦の墓や陶春賢 (すえはるたか)の首塚(いずれも市重文)などがあり、戦国期の興亡の姿をいま に語りかけている。 |
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陶春賢(すえはるたか)の首塚 陶春賢は戦国時代の武将で、陶興房(おきふさ)の 二男である。大内氏の重臣として活躍していたが天文20年(1551)8月、大内義隆父子 を襲い自刃させ、大内氏の領国を制圧した。弘治元年(1555)10月の「厳島合戦」で、 水軍に勝る毛利元就の奇襲戦に敗れ、厳島で自刃し、桜尾城において首実検の後、 この洞雲寺に葬られた。陶春賢の墓は最初は首塚であったが、後に現在のような 宝篋印塔を墓石としている。墓石は三段の花こう岩製と安山岩製の墓壇の上に立ち、 印塔自体は軟質な安山岩製である。総高129cmで、この宝篋印塔は基礎部と塔身部 がつながり、笠部も軒が厚くなるなど、各部に形式の退化したところや、また風化した 跡が認められる。歴史上著名な武将の墓として貴重である。 |
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毛利元清の墓 | |
山門 | |
アルカディアビレッジには無料送迎バスで行きました。
11時45分 発 |
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アルカディアビレッジ
レストランで昼食 カツカレー 13時 極楽寺へハイキング出発 極楽寺から下りて バーベキュー広場で食事中のご婦人に 話し聞く 「極楽寺まで 40分ほど かかります」 |
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木の階段続きます。散策道。
女性二人「坂きついですね」 |
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さくらの里 | |
自然湿地園 マムシ注意の木柱
雪が木陰にありました |
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ヒノキの木どうし こすり
「キーキー」気持ち悪い音 上のほうからします。 蛇の池 極楽寺山 憩いの森キャンプ場 |
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杉の木
花粉 今年は例年の何十倍と飛びます。 マスクしながらハイキング 人いました。 |
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13時35分
極楽寺本堂 昨年の台風被害 修復中 |
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新日本名木百選
推定樹齢300年以上 アカガシ |
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あずま屋からの景色
黄砂 かすんでいます、廿日市市街 厳島 |
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梵鐘
14時 「アルカディアビレッジ」引き返しました 15時 入浴し ビールで 疲れを癒しました。 東広島のお父さんと話しはずむ。 16時発 無料バス JR廿日市駅 |
関連サイト
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中国自然歩道 極楽寺山コース
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JR廿日市駅〜広電地御前駅 令5年(2023)12月3日(日)