「自然の芸術と神仏が一体」 2006/4/29(土) みどりの日 広島県庄原市東城町  

行程 
東城町散策→巨樹 桜→出雲坂根駅延命水   ドライブ 8時間 210km

東城町散策
大橋→東城川畔→穴の薬師→大橋  4.3km

東城盆地の真ん中を流れる成羽川(通称:東城川)は、古くは有栖川(ありすがわ)と呼ばれ、
備後東城の里を東西に分けて美しい水が絶え間なく流れています。
その清流有栖川には、古くから地域の中心地として栄えた東城に続く道に架けられた橋をはじめ、
住民の往来を支える橋が何本も架けられています。

旧川西町の東城川畔に栄えた宿場町である。東城川の川沿いに東西に走る備中新見路。
南の油木から延びて来た東城路とが町で交錯し、備後鉄の集散地として繁昌した。
鉄問屋が村々から集荷した長割鉄や銑を馬の背や川舟で備中成羽を玉島へ運び備南の
福山や尾道から運ばれた木綿・塩魚など商品が三と七の市の日に商われた。
当時商人町の中心地であった上之町や新町の表通りには鉄問屋や宿屋・酒屋・小間物・雑貨商
桶屋・鍛冶屋などが軒を並べていたのである。

東城の町並は、南北に長く、直線の大路と小路によって区画された城下町の面影を残しています。
この街づくりは慶長5(1600)年関ヶ原の合戦後、東城五本竹城主となった長尾隼人正一勝によって
整備が進んだと思われます。いつの頃からか五本竹城は五品嶽城(ごほんがだけじょう)に、
川は有栖川に、京都にちなむ名称で呼ばれるようになりました。
福島正則が広島藩を改易となり、和歌山より浅野長晟が着任、
その3家老の一人堀田孫左ヱ門高勝が砂鉄採取と東の守りの為東城に着任し、東城浅野とし
五品嶽城麓に家老屋敷を建て、この付近にはない独特の文化を育みました。
チラシより「まちなみぶらり散歩ギャラリー」06/10/28〜11/5 東城町上之町〜本町〜新町

拉致被害者横田めぐみさんの母、早紀江さんと弟の拓也さんは、
ホワイトハウスの大統領執務室でブッシュ米大統領と面会した。

大 橋 
昔の備中国からの街道が備後国に入って旧東城の街
につながる道に架けられた橋が、大橋(おおはし)です。
大橋を渡って東城中心街に入るあたりを
「備中町(びっちゅうまち)」と呼ぶのはその名残です。
かつての大橋は木造の板橋でしたが、国鉄芸備線が
開通した昭和五年(1930年)ごろに「備中町」の道幅が
拡張されたことに伴い、
現在の鉄筋コンクリート橋に架け替えられました。
広島県天然記念物 

東城川の甌穴(おうけつ)「ポットホール」

昭和29年4月23日指定

急流の河底の岩盤上に天然につくられた甌穴(おうけつ)は,
地質的にも地形的にもいろいろの自然条件に支配されて,
長年かかってつくられるものである。

大橋付近の川底には、
甌穴(おうけつ)と呼ばれる円形のくぼみが多数見られ、
県の天然記念物に指定されています。 

東城川の甌穴は,
第三紀中新世(2300万〜500万年前)の泥岩・砂岩・礫岩など
の層からなる河底に,約3.5kmにわたって直径20cmから2m
に及ぶ30個以上の甌穴群が8群存在しており,
このうち東城川大橋から上流400m,
下流300mが指定されている。
桜町の桜

葉桜でした。

枝の根本に花咲いていました。

甌穴の分布が他地域に比べて広域で、
量・質ともに豊富で
学術的に価値の高いものである。 
正安寺
8月19日お盆に麦わらの舟を流す流れ潅行が行われる
中国自動車道のガード下を潜り

日切大師

穴の薬師
穴の薬師

洞窟に薬師堂・石像がある。

洞窟

神秘的でした、寒かった。
東城お花見マップ

森湯谷(もりゆだに)のエドヒガン

胸高幹4.5m 

今年の冬は雪多い 枝折れていました

小奴可(おぬか)の要害桜 エドヒガン

 

亀山城跡の一角に所在していることから
「要害桜」と呼ばれる
千鳥別尺のヤマザクラ

花は若葉と同時に開く。

県内第一の巨樹、広島県天然記念物指定の第1号。

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