可憐な野草「セツブンソウ」自生地2006/2/27(月) 広島県庄原市総領町
行程 140km 6時間(ドライブ)
八幡神社→道の駅→龍興寺・一本堂→川平山城跡→芭蕉句碑・麦宇翁之碑と文塚→自生地E
自生地
日本固有の可憐な野草で、関東北部以西に自生する。
広島県内では東部にまれに自生地があるが、現在では、
ほとんど絶滅に近い。総領町は最大の自生地である。
総領町では、亀谷から木屋地区の田総川の左岸側の北向き
の山裾に点々と自生地がある。(自生する地域:亀谷・下領家・稲草・木屋)
開花期は2月に中下旬から3月の中旬であるが、1ヶ所ある南向きの
自生地は、節分(2月3日)頃には開花する。
セツブンソウは、下草を刈らなければ育たず、総領町に自生地が残ったのは
、北向きの斜面に、農家や墓地があり、下草が刈り続けられたためと思われる。
1986年(昭和61年)春に上下自然愛好家の荒川克さんらにより、
総領町にセツブンソウの自生地があることが確認された。
それ以後、マスコミなどにより、総領町はセツブンソウの自生地として
広く知られるようになった。
環境庁指定の絶滅危急種の指定
総領町の天然記念物に指定されている希少種です
第20回冬季五輪トリノ大会閉幕。
フィギアスケート女子を制した荒川静香の金メダル1個に終わった。
メダルにあと一歩の4位は冬季五輪最多の5種目目。
草刈しないと咲かない花です。 |
自然と人間が一体となって咲かせる花です。 |
雪のある節分の頃から咲く 春を告げる花です。 里山を楽しむ町 総領町を象徴する花です。 |
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領家八幡神社の文化財 甲奴郡の旧本郷村に本郡八幡総社大宮八幡宮 という大社があり、 その八幡宮において建治元年(1275)旧8月15日 法生会の祭礼について 論争が起こり、その際下領家の仏ヶ峠の某(法印) が御幣を持ち帰った。 稲草の上市の宮原というところに仮殿を設け、 そこで三年間勧請し、 弘安元年(1278)下領家の森戸山の麓に社殿を建て 東照山八幡宮と唱え、地頭領家の氏神とし崇敬した。 領家八幡神社の例祭は山内の山王さん、 小童の祇園さんと共に奥備後の三大祭といわれ、 初九日(新暦)10月9日に大頭・小頭の 二組によって祭祀した。 |
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道の駅 「リストアステーション」 国道432号 | |
自生地A アースワーク河川公園
まだ「つぼみ」でした。 |
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自生地E
南向きの自生地は節分(2月3日)頃には開花する |
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自生地E
セツブンソウ キンポウゲ科セツブンソウ属
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龍興寺・一本堂 史跡 僧行基が雷避け観音大師を、桑の巨木で 彫刻して観音堂に安置し、その材料で一本堂 を建立したといい伝えられている。 現在のものは欅材で再建されており、 龍興寺のシンボルである。 「名のしおふ |
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龍興寺 | |
下市の町並み | |
川平山城跡 鎌倉時代より戦国時代に至る間の山城である。 鎌倉幕府の役人大江広元の子孫の長井氏 (後に田総氏を名のる)の居城で、築城は 長井重広と言われ、1591年に長井元好が 毛利氏について広島に移るまで続いた。 長井氏は、田総庄十二カ村と小童保(現甲奴郡) 長和庄(現福山市)等の地頭職であった。 山頂の標高360m。 五段階の台地に井戸 竪堀 掘切り 腰郭等が見られる。 |
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上市の道標
西 みらさか 三よし 南 みわら をのみち |
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上市から三良坂別れ 庄原へ | |
上市のイロハモミジ群
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芭蕉句碑・麦宇翁之碑と文塚 史跡 ・芭蕉句碑は田総の俳人越智古声が、師蝶夢の 田総来訪を記念して安永8年(1779)臨川庵に 建てたものである、 「山里は萬歳おそし梅の花」 ・麦宇翁之碑は越智古声(号眠亭)の友人京都 の麦宇翁がこの地で4年間俳諧を教えたが、その 死後、弟子が師を偲び建てたものである。 ・文塚は古声が、師蝶夢からの書簡を集め 供養したものである。 |