01/10/8 体育の日。次の土日休みは 秋祭り本番。

米英がタリバン攻撃開始した日。


 「己斐・草津」 散策コース

03/2/2   2度目の散策記録


旧山陽道として広島築城前から、古い歴史をもつ己斐・草津などの町。

今は西部海岸地帯埋め立て、西広島バイパス、草津沼田道路などできた。

伝統と風情はどこにあるかと思うほど。新しい町の動き作っている。

名残なくなっているようだ。

途中 街道松あるかと見たがなかった。

途中電車乗りながら行った。

わからない所 親切に教えてもらった。

ある人は「何にもない所」と言うが、見ればよい所だ。

「古きもの」   思いきって残してほしいものだ。

2019年6月8日(土) 西国街道・安芸の旅 己斐町・JR西広島駅〜広電草津駅
行程4.3km 参加者14名
JR西広島駅10:00集合→旭山神社→源左衛門橋→別れの茶屋→
延命地蔵→上田宗箇流家元→こいとう坂→新宮神社→古田公民館
→鷺森神社→小泉酒造12:20解散
土産:オンザロック 清酒「夕涼」 小泉本店

午後は広島 vs. ソフトバンク 2回戦 観戦

 己斐町・JR西広島駅〜広電草津駅
 


ズッコケ三人組のふるさと己斐

10
55分 「己斐」西広島 広電会館前 出発 
 

11時    源左衛門橋 西区己斐本町1丁目 

江戸時代の旅行案内書八幡川にかかる「長さ一間、石橋」と紹介。
名の由来は初代紫竹源左衛門が橋を架けたので橋の名になった。

1110分  別れの茶屋 西区己斐本町3丁目

茶屋ができたのは宝暦年間(17511763)といわれている。

西国街道筋で街道松が美しく整っていた。

夏でも時雨のように松露が落ちてくることで
「時雨の松」と名付けられた松があった。

旅人のしばしの憩いの場となっていた  

 

 
 

1210分  三輪明神

旧道歩き酒屋の所を曲がる。右は古江東町、
左は古江西町道路歩く。

古江のいちじく」畑とマンション辺り歩く。
「西広島バイパス」の下を横切る。

三輪明神では結婚式一組。 まさに始まる所。

広島市内、太田川放水路、安芸小富士など見晴らしがよい。

 

1230分  広電宮島線 電停「ふるえ」

1240分電停「くさつ」で降り 小泉酒造本店 
西区草津東
3丁目3-10

地図はこちら
旧山陽道。旧商家の家並みが道に寄りそうように軒を
連ねて面影と情景を見せている。

明治18年 明治天皇が広島行幸のさい、宮島に行く途中
小泉家に寄られ休息した記念碑が残っている。御幸川がある。

たずねた人からの話し 酒蔵コンサート行事あるそうだ。

大石餅本舗はある宗教の場所 行かないことにした。



1245分  草津八幡宮 西区田方1-11-27

草津の古い名は軍津浦輪(いくさつうらわ)といい、
軍(いくさ)の港から地名が起こり、その当時は
八幡宮のあたりまで入り江であったといわれている。

この地を訪れたとされる神武天皇や神功皇后の
伝説が受け継がれている。

昭和37年に御鎮座1370年祭が盛大に行われた。

 

草津城跡

いつこの地に築城されたかは不明であるが、
厳島合戦のおり、城主として毛利方の船奉行、
児玉就方が入り前線基地ともなった。その後、
福島時代には、この城は西の固めとして重要視され、
城の麓近くに通称「大門」と呼ばれる関所を設けたと
いわれている。
 





1315分  海蔵寺  西区田方1-13
歴史的な役割をもっていることがことのほか興味深い。
厳島合戦の時に毛利方の陣中となった。
毛利時代には草津城主の児玉就方の菩提寺。
浅野時代には広島藩第三家老浅野孫左衛門一族の
香花院(こうげいん)として500石の寺領を受け
明治初年まで続いている。

墓には歴史の中に隠された部分を見るようで興味がつきない。
北条氏直(うじなお)の墓
氏直は豊臣秀吉が小田原城を攻めた時に降伏させた
北条氏政(うじまさ)の子。

氏政は自刃したが氏直は家康の女婿のため助命された。
尼子方の武将 山中鹿之助の二女盛江の墓 

 

13時35分  電車で「くさつみなみ」で降り 
西部埋立第7公園内に 草津港燈台 

西部海岸地帯を埋め立てて昭和56年に完成した、
西日本最大の西部流通センター。 

草津港にあった燈台を保存。

13時50分 アトムボーイ南草津店でビールと寿司。



 

14時25分 電車で「いのくち」降り 小己斐島(こごいしま) 
西部埋立第2公園内

埋め立てられる前までは井口船泊まりの防波堤の一部であった。

厳島神社造営のおり、この地の木が使われ、木に刻印し、
潮にのせて宮島へ運んだとか。それでこの島にまつる神を
「刻印の明神」といっていた。

16時 別宅に。

 

 

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