01/10/8 体育の日。次の土日休みは 秋祭り本番。
米英がタリバン攻撃開始した日。
「己斐・草津」 散策コース
03/2/2 2度目の散策記録
旧山陽道として広島築城前から、古い歴史をもつ己斐・草津などの町。
今は西部海岸地帯埋め立て、西広島バイパス、草津沼田道路などできた。
伝統と風情はどこにあるかと思うほど。新しい町の動き作っている。
名残なくなっているようだ。
途中 街道松あるかと見たがなかった。
途中電車乗りながら行った。
わからない所 親切に教えてもらった。
ある人は「何にもない所」と言うが、見ればよい所だ。
「古きもの」
思いきって残してほしいものだ。
令和1年12月7日(土) 西国街道・安芸の旅・(広電草津駅〜広電井口駅)(2km) 参加者15人
集合:広電草津駅9時50分→草津公民館→日蓮宗 慈光寺→鷺森神社(弁天さん)→曹洞宗 海蔵寺→幸神社と大銀杏
→小泉家→まちづくり交流広場・大石宅より移設(説明板、石臼、灯籠)→浄土真宗 浄教寺→浄土真宗 教専寺→
舟板塀・袖うだつ・遠見遮断→大釣井と地蔵さん→大門跡→広電井口駅
草津まち 歴史の探訪マップ 草津まち歴史の散歩道ガイドコース
鏝絵(こてえ)
絵柄には、厄除けや火除け、繁栄などの願いがこめられています。唐獅子、波うさぎ、龍、牛、鶴、亀などがあります。
唐獅子は強い力で魔物を倒す霊力があると信じられています。また、文殊菩薩の使いともいわれています。
波うさぎは、波とうさぎを組み合わせ図案化したものです。波は水を表し、火事除けの意味をもち、うさぎは多産な
山の神使いでであり、子孫繁栄のシンボルです。龍は水を司る神さまで、雲を呼び、雲は雨を呼ぶといわれ、
火事除けのシンボルとして親しまれています。 |
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広島牡蠣発祥の地
全国一の生産量誇る広島カキの養殖
戦前までは「ひび立て養殖」
「ひび」と呼ばれる枝付きの竹がきっしり
立ち並ぶ。そこに付着したカキを人々が
打ち落とし養育場へ運んでいく―。
草津は古い歴史のある町で、東西を
西国街道が走っている。
江戸時代には広島城下と廿日市宿を
結ぶ間宿として栄えた。 |
2019年6月8日(土) 西国街道・安芸の旅 己斐町・JR西広島駅〜広電草津駅
行程4.3km 参加者14名
JR西広島駅10:00集合→旭山神社→源左衛門橋→別れの茶屋→
延命地蔵→上田宗箇流家元→こいとう坂→新宮神社→古田公民館
→鷺森神社→小泉酒造12:20解散
土産:オンザロック 清酒「夕涼」 小泉本店
午後は広島 vs. ソフトバンク 2回戦 観戦
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ズッコケ三人組のふるさと己斐 児童文学作家 那須正幹(なすまさもと)
2021・7・22 死去した 79歳。
JR西広島駅前には
ズッコケ三人組
(ハチベエ、モーちゃん、ハカセ)のモニュメントが設置
10時55分 「己斐」西広島 広電会館前 出発 |
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11時 源左衛門橋 西区己斐本町1丁目
江戸時代の旅行案内書八幡川にかかる「長さ一間、石橋」と紹介。
名の由来は初代紫竹源左衛門が橋を架けたので橋の名になった。
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11時10分 別れの茶屋 西区己斐本町3丁目
茶屋ができたのは宝暦年間(1751〜1763)といわれている。
西国街道筋で街道松が美しく整っていた。
夏でも時雨のように松露が落ちてくることで
「時雨の松」と名付けられた松があった。
旅人のしばしの憩いの場となっていた
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12時10分 三輪明神
旧道歩き酒屋の所を曲がる。右は古江東町、
左は古江西町道路歩く。
「古江のいちじく」畑とマンション辺り歩く。
「西広島バイパス」の下を横切る。
三輪明神では結婚式一組。
まさに始まる所。
広島市内、太田川放水路、安芸小富士など見晴らしがよい。
12時30分 広電宮島線 電停「ふるえ」
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12時40分電停「くさつ」で降り 小泉酒造本店
西区草津東3丁目3-10
地図はこちら
旧山陽道。旧商家の家並みが道に寄りそうように軒を
連ねて面影と情景を見せている。
明治18年 明治天皇が広島行幸のさい、宮島に行く途中
小泉家に寄られ休息した記念碑が残っている。御幸川がある。
たずねた人からの話し 酒蔵コンサート行事あるそうだ。
大石餅本舗はある宗教の場所 行かないことにした。
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12時45分 草津八幡宮 西区田方1-11-27
草津の古い名は軍津浦輪(いくさつうらわ)といい、
軍(いくさ)の港から地名が起こり、その当時は
八幡宮のあたりまで入り江であったといわれている。
この地を訪れたとされる神武天皇や神功皇后の
伝説が受け継がれている。
昭和37年に御鎮座1370年祭が盛大に行われた。
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草津城跡
いつこの地に築城されたかは不明であるが、
厳島合戦のおり、城主として毛利方の船奉行、
児玉就方が入り前線基地ともなった。その後、
福島時代には、この城は西の固めとして重要視され、
城の麓近くに通称「大門」と呼ばれる関所を設けたと
いわれている。
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13時15分 海蔵寺 西区田方1-13
歴史的な役割をもっていることがことのほか興味深い。
厳島合戦の時に毛利方の陣中となった。
毛利時代には草津城主の児玉就方の菩提寺。
浅野時代には広島藩第三家老浅野孫左衛門一族の
香花院(こうげいん)として500石の寺領を受け
明治初年まで続いている。
墓には歴史の中に隠された部分を見るようで興味がつきない。
北条氏直(うじなお)の墓
氏直は豊臣秀吉が小田原城を攻めた時に降伏させた
北条氏政(うじまさ)の子。
氏政は自刃したが氏直は家康の女婿のため助命された。
尼子方の武将 山中鹿之助の二女盛江の墓
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13時35分 電車で「くさつみなみ」で降り
西部埋立第7公園内に 草津港燈台
西部海岸地帯を埋め立てて昭和56年に完成した、
西日本最大の西部流通センター。
草津港にあった燈台を保存。
13時50分 アトムボーイ南草津店でビールと寿司。
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14時25分 電車で「いのくち」降り 小己斐島(こごいしま)
西部埋立第2公園内
埋め立てられる前までは井口船泊まりの防波堤の一部であった。
厳島神社造営のおり、この地の木が使われ、木に刻印し、
潮にのせて宮島へ運んだとか。それでこの島にまつる神を
「刻印の明神」といっていた。
16時 別宅に。 |
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