「街道を歩き憩亭を訪ねる」 2017年6月11日 広島県福山市神辺町
神辺本陣から備後国分寺にかけて旧道を歩き、歩道に建つ「憩亭」
を訪ね、福山地方特有の文化遺産である「憩亭」について理解を深める。
コース 9.5km
神辺本陣9:10出発→廉塾→平野一里塚→道城憩亭→竹政憩亭→唐橋→家後屋憩亭・葛原邸(11:35〜13:00昼食)→峠憩亭→堀館憩亭→
一里塚憩亭→明正寺→国分寺(15:00終点)
ふくやま観光・魅力サイト > ふくやま歴史散歩
その他 ページ208 スクロール参照下さい。
辻堂 憩いのひとときを過ごす 1999年3月号に掲載 されている。
「憩亭」とは
憩亭は微少のものなれとも、この国のみ多くありて、他国に稀なればその所と数とを録す菅茶山編『福山志料』より
辻堂は主に西日本で見られるが、福山には特に多く、四方の壁がない形態が目立つという。これまで市内で260程度を確認。
建て替えや補修をして引継がれてきたケースが多いという。江戸期の儒学者茶山が地誌「福山志料」で、辻堂を「憩亭」と表現。
当時の福山藩に約600あると記している。旧街道沿いに多く、「旅人の休み所として活用され、今も昔もコミニュティーの場」と見られる。
今回の調査は2017年度、日本遺産申請を目指す福山市が、ストーリーづくりのため進める歴史文化基本構想策定事業の一環。
「日本遺産(Japan Heritage)」について
2017/6/12(月) 上野動物園のジャイアントパンダ、シンシン(11歳)が赤ちゃんを産んだ。5年ぶり5頭目の赤ちゃん誕生となった。
名越憩亭跡(地蔵堂)福山志料にある
題平野憩亭
名越谷ノ潤上ニアリ
西山正※頼山陽が出奔した時(文化8年 1811)、塾生たちがこの憩亭まで見送った。
道城憩亭(中組地蔵堂) 笠岡道を拡張する際に移築された。 |
|
憩亭 街道から少し入った位置に |
|
竹政憩亭(観音寺地蔵堂) バス停の待合所として利用、昔は田に引く際に 見張所として利用されていた。 西側の供養塔・石碑(安永四年)は江木則夫氏の 祖先が行き倒れの旅人の為に建立。 ここで笠岡道を離れる。 |
|
家後屋憩亭(葛原堂) 享保4年(1719)再建、明治45年(1912)再建。 葛原家の菩提を弔うために建てた。 |
|
葛原邸・蓮乗院(昼食) 五仏像(戦国時代)拝観 |
|
峠憩亭(峠地蔵堂) 境内内に板碑・地神・道祖神あり、道祖神を拝むと 婦人病に効くという。西国八十八箇所霊場。 |
|
観音堂 十一面観音座像 |
|
堀館憩亭(堀薬師堂) 本尊は薬師如来像。 ※中国行程記にこの辺りに大きな樹木と その傍らに四ツ堂あり。 ※屋敷、土塁、堀などの痕跡が見られ、 憩亭地には往時の土塁一部が残る。 今回の憩亭 一番の趣です |
|
憩亭 今にも崩れ落ちそうです。これからの地域映している。 再建をと思います。 |
|
一里塚憩亭(宗重地蔵堂) 本尊は観音菩薩と地蔵菩薩。堂内の寄附表には 「御領上・下組」「下御領上組」「上御領中組」 「下御領下組」「上御領上組」「後月郡高屋村字西山」とあり、 かなり広い範囲で堂の維持をしていた。 堂の東側に石仏18体。 ※中国行程記には一里山の東側に「地蔵堂」が記されている。 |
|
明正寺の墓所には憩亭 菅茶山交遊寺 江戸時代後期の12世住職・祐教(ゆうきょう)上人は、 当時「学を好み、詩歌を能(よ)くする」と有名で、 菅茶山や頼山陽など文人との親交があり、境内で詩会など を開いています。茶山は祐教上人の求めに応じ、漢詩 「偃松(えんしょう)詩」を贈っています。この偃松とは、 当時境内にあった通称「かこいの松」と呼ばれた巨松のことで、 その枝ぶりは東西27.3m・南北17.3mにもおよびましたが、 残念ながら慶応3(1867)年に枯死してしまいました。 |