水の都ウォーク 天満川沿いを歩く 2002/9/7(土)

旧広島城下の西端を流れる天満川を

水の都にまつわる話を聞きながら、往時のたたずまいを偲びつつ

14時〜17時 参加者20人で、歴史ロマン 楽しく散策する。

 

経路: 横川橋→広瀬神社→中広大橋→広瀬橋→天満神社→天満橋→緑大橋→観船橋→

羽田別荘→中島神埼橋→広島厚生年金会館

 

洞春寺河原の話し 打越村の話し 西新町の話し 西遊郭の話し 神埼の渡し跡の話し

 

川の付き合い方 水の都の姿を夢見て・・・。ビアガーデン。

年金会館では「藤井フミヤ」終わり、若い人と一緒に いい気分で帰りました。

午前中は子供の保護者会に出席した。

 


写   真  ス ケ ッ チ 
 



横川:本川に対して真横に分岐するため
     横川の地名が起こり。
洞春寺河原:広瀬北町の西川岸

かつて元就の菩提寺あと
両岸一帯はうっそうと葦原が、蚊帳会社あった。
 




中広町:打越中小屋と広瀬町から町名起こり

打越村の特産はなすび。木綿栽培、藍の作付。

水力発電所、火葬場、ミルク会社・製缶工場。



広瀬神社 
天満川は干潮 水はね



   
天満川:大潮で干潮 しじみ掘りの姿見る
観音院:観音町 発祥の地

太田川しじみ漁獲量

02年 152トン 95年286トンから減少
01年 温井ダム貯水始まり 不漁?

 


西遊郭跡:藩政期に舟入町の一角に萬花園が開設、
その続きに二号地があり西遊郭の前身となった。



羽田別荘:大正初期に羽田謙二郎により
羽田別荘が建てられ、動物園開設・少女歌劇興行を。 




 神崎の渡し跡:中野神崎橋西詰めにある
本川の「川の崎」が訛って「神崎」。
船渡しは明治の終わりまで続けられた。

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