第12回 近世西国街道散策会(岩国欽明路〜柱野〜御庄

2002/03/03(日) 弥生3月3日はお雛様の日。


ウグイスの鳴き声上手くなって、梅の花が里に白・ピンク映えていた。まさに3月の一日

天気も良く、絶好の散策 予定7kmから10kmと変更する。

欽明路(きんめいじ)? 

 辺りの地図

歩くまではぴんと来ない所。錦帯橋・岩国城の西側へ行った所であった。

欽明路峠は山陽道の中でも屈指の難所と言われた所。

現在も交通の要所。各交通の欽明路トンネルがあった。

新幹線・岩徳線・山陽自動車道・岩国から玖珂間の隊道(山口県最初の有料道路)。

発見と感動の小旅行。山谷さん(としておこう)とペチャクチャお話し旅行。

地理的に洪水が多いところ。そして大火があって改修と移転の歴史がある。

写  真  ポ イ ン ト 
 7時過ぎ別宅、京橋川沿い徒歩で広島駅。
8時13分 JR広島駅発
9時21分 岩国発 岩徳線 ワンマン列車
9時45分 JR欽明路駅
10時5分 説明聞き 出発
  小学校があったところに街道松あったと案内板 
字が一部消えて見にくい。 
武田屋敷

 10時25分

武田屋敷 安芸銀山城を築いてから滅亡。
その後・・
周防源氏武田家の祖となる。
武田氏は欽明路の武田屋敷に住みついて400年。
町の育英事業に貢献。
そして子孫が呉の呉港学園創始者。

欽明寺 10時45分

欽明寺
天皇の名を戴いて建てられたと伝えられる。
昭和15年大火、昭和33年再建。
天皇の腰掛け岩と言われる岩がある。
銀山城主武田光和の供養塔。
加藤清正の堂宇もあり7月23日には
清正公祭が行われる。
 

  11時30分
欽明路峠
「周防なる 磐国山を 超えむ日は手向けよくせよ 
荒しその道」 万葉集に
旧山陽道は明治以後改修され、大正7年ルートを大幅に
変更して新たに国道がつけられた。旧山陽道は勾配がきつく、
費用がかさむため大きく迂回するルートが採用され、
旧道は難所のまま取り残された。
その後昭和47年欽明路バイパスが新設、
高速自動車道や新幹線も欽明路峠の下をトンネルで通過している。
山谷さん「杉の木ある、花粉症ならない?」
以後は ペチャクチャ旅となる。
11時55分
二軒屋一里塚
一里塚の所在地は不明。
地名、一軒屋もありそれ程さみしく、けわしかった?
12時30分
柱野市(はしらの)
江戸時代初期大火があり、下流の現在地に移転。
御庄川が氾濫し河川改修された。
千体仏

12時40分

千体仏
有形民俗文化財
現在795体あると言う。
この中から亡き人の顔に似た像を選び、法要の際、
位牌と一緒に仏壇においてお経をあげて貰ったと
云われている。

12時40分から13時20分 市立柱野中学校で昼食  

思案橋

 14時10分

思案橋
渡ろうか、渡るまいか思案の橋。
渡れば川西方面から岩国に出て、錦帯橋をはじめ、
遊んで帰ることになる。まっすぐ行けば旧山陽道の本道、
御庄の宿に出る。思案橋近くには一里塚があった。

 

 

 

 

 

 

14時35分 御庄(みしょう)駅 錦川鉄道 錦川清流線

14時50分 御庄駅発 ワンマンで突然の多さ つり銭大変。

15時16分 岩国発 山谷さん 
ペチャクチャと広島駅まで討論会

19時半過ぎ 本宅

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