三日月公園・亀嵩・おろちループ 国道314号線沿い 04/8/12(木)
家族でお墓へ 帰りに延命水をポリタンク(4缶)汲みました。おろちループのレストランで「やまかけ蕎麦」昼食。
島根県能義郡広瀬町 三日月公園
京羅木山 |
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三笠山 笠状の山が三っ重なったことから三笠山と呼ばれています。 その昔、山中鹿助がこの三笠山の上にかかる三日月を拝して 「願わくば、我に七難八苦を与え給え」と祈ったといわれています。 経塚山 尼子経久の祖父(持久)が京極家の目代として富田城にいた頃、 自ら一切経を写し、これを埋めて子孫の繁栄を願ったと言われて いる山で、天文12年(1543)大内義隆が富田城攻めて来た時、 陶隆房(後の晴賢)が陣取ったところ。 |
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月山 標高198mの復郭式の独立山で、難攻不落といわれた戦国大名 尼子氏の居城があったところ。山頂は奥より本丸跡・二の丸跡・ 三の丸跡があり幅20m奥行230mの平地となっています。 太鼓壇 尼子時代に鼓楼が設けられていたところで、城下に時を知らせたり、 武士に登城を知らせたと言われています。また鼓楼が設けられた ところの下には、武士が勢ぞろいする千畳平と称する広場があり、 現在は桜の名所となっています。 馬乗馬場 細長く平らな台地となっており、現在は梅林として整備されていますが、 尼子時代に武士の馬術訓練が行われたところ。 お茶庫台 地名のとおり城のお茶蔵があった所と伝えられています。 お茶庫台に続いて能楽平・大東城と復郭式の台地が 大手門まで繋がっており、富田城の重要な防御の役割を 果たしています。 |
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尼子 経久(1458〜1541)
応仁の乱は全国を戦国争乱の世に変えた。そのころ尼子氏は出雲国 守護代の職にあった。父清貞の跡を継いだ経久は、父を越えて戦国 大名への道を歩み始めた。一時、その地位を追われたが後に回復し、 またたく間に出雲国を平定し、ついに山陰・山陽にまたがる (現在の島根・鳥取・広島・岡山の各県と兵庫県の一部) 十一州の太守と讃えられる大勢力を築いた。 経久は、武将としての勇猛さと共に神仏を信仰し(出雲大社の遷宮など) 人に優しかったとも伝えられていて、優れた文化人でもあった。 実に60年もの間尼子の栄光を支えた。 |
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「砂の器」舞台の地 湯野神社 |
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奥出雲 古事記や日本書紀に登場する伝説の怪物ヤマタノオロチと スサノオノミコトの決闘の舞台。 JR木次線 亀嵩駅 木次線トロッコ列車 木次線開通88周年。 |
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レトロな駅舎
中にそば屋があること有名 「扇屋そば」駅長が作る。 〜出雲名物荷物にゃならぬ、食べてお帰り出雲そば〜。 |
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出雲坂根駅 標高565m
トロッコ列車はこれから山を越えて、 JR西日本でいちばん標高の高い三井野原駅(727m)登っていきます。
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奥出雲の名水 出雲坂根駅の延命水の由来 ここからわき出る水は、清水堀と呼ばれ、寿命百年の古狸がいたのは 延命の水がもたらしたものだと村人は言い伝え、村人たちもまた長寿の 霊水と称し飲用したという。又、横田町のたたら製鉄を岡山・広島方面に運ぶ 途中、馬子たちはここに足を止めて水でのどをうるおしたと今に伝えられる。 駅のホームに夏は冷たく冬は温かい水がわき出る。 三井野原の稚児神社(水の神様)から分霊を受けて延命神社を建立し 延命水祭を行っている。 |
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道路下でも 延命水
車の列 並んで たくさん汲む人います |
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おろち号
水汲みしていたら運よく停車 撮影しました |
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内装
木をふんだんに使ってある 窓枠部分を大きく取り払い 開放感に満ちた車内 |
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ディーゼル機関車 | |
「奥出雲おろちループ」全景
日本最大級の二重ループ構造 |
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三国山
出雲風土記に「室原山」として登場し、伯耆国と備後国との国境の山 このように3国の境の山であることから「三国山」とよばれれるように |
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3国の境の山
「三国山」 |